「Sphery Rendezvous」藤原基央インタビュー

2025.12.10

――まずはツアータイトルの話について聞かせてください。音楽ナタリーに掲載されたアルバム「Iris」のインタビューの時に、もともと「Sphery Iris」がアルバムのタイトル候補で、そこからアルバムのタイトルとツアータイトルの「Sphery Rendezvous」が一緒に決まったという話をしていました。その時にどんなイメージがあったんでしょうか? 藤原:「Sphery Iris」というアルバムのタイトルを名付けてみんなに伝えた時、すごく反応がよかったんですよ。「めっちゃいいじゃん」って言ってくれて。よかったと思いながら、どこかで「なんだかなあ」と思ってたんですよね。そもそも「Iris」という言葉が出てきた時に、自分の中では「これだ!」となったのにも関わらず、自分たちだけの言葉にしたい、ネットで検索してもそれしか出てこないような、自分たちだけの唯一無二のタイトルにしたいというのがあって。「Iris」という単語自体は珍しくもなんともないポピュラーなものなので、「Sphery」をつけることで自分印の哲学を加えたかった。これは邪念だということに気付いたんです ――「Iris」の言葉だけでいいんだと。 藤原:そうなんです。その言葉の時点で自分の中で特別なものを表現してるはずなんだから、それを自分たちだけのものにしたいというのは俺の邪念だと。「Sphery Iris」から「Sphery」をとって潔く「Iris」にするのが、アルバムタイトルとして正しいんだ、美しいんだというのが、確固たる輝きを持って自分の中で落ち着いてしまった。それに気付いたから、「ごめん、みんな」って言って。ただ、そうなったら「Sphery」という言葉は宙ぶらりんになっちゃうわけですけども、これはこれで今の自分たちが表現したい何かなんだよなと思ったんですよね。それで「Rendezvous」に辿り着いた。「Rendezvous」には「待ち合わせ」とか、「宇宙船が並走する」とか「ドッキングする」とか、いろんな意味があって。その全部が、自分の音楽を今まで受け取ってきてくれた人とBUMP OF CHICKENの関係や、ツアーで感じてきたことを内包している感じがしたんです。それで「Sphery Rendezvous」という言葉が生まれたという。 ――「Sphery」には「天体の」とか「球状の」という意味合いがあって、それがライブの空間のイメージに近いという話もしていましたよね。そのイメージというのはどういうものなんでしょうか? 藤原:会場そのものが天体であり、球状であるというイメージもあったし、星空のようなイメージもありました。ライブ空間が銀河のような、星空のようなものであるという。たとえ何万人いようと、僕から見たらお客さん一人ひとりがそこにいるわけで、僕たち4人は毎回ライブでその存在を感じながら演奏して歌うわけです。その一つひとつの存在が、まるで星空のようだ、と。広く取れば、世の中そのものがそういうものだみたいな気持ちもありました。たとえば渋谷のスクランブル交差点を歩いていると、めちゃくちゃ沢山の人がいますけど、ほとんどは名前も知らない他人じゃないですか。それは見えない星のようなもので。「なないろ」の歌詞でも書いたんだけど、「治らない古い傷は 無かったかのように隠す お日様が 昼間の星と同じだね 本当は キラキラ キラキラ この街中に」と歌ってるんですよ。そういうことなんですよ。綺麗とか、よく見えるとか、そういう視覚的にポジティブじゃなくても存在するものも含めてそうだろう、と。 ――なるほど。昼間の星は見えてないだけで、いつもあるものなんだと。 藤原:そうです。でも、何かのきっかけで誰かと繋がる時とか、誰かを意識する時があれば、それは見えている星になるかもしれない。そういう感覚ですね。「Sphery」という単語には、ライブ会場において、自分やメンバーたち、お客さん一人ひとり、スタッフ全部含めて、この世界に存在する天体、星空のようだという意味もある。会場そのものが一つの球体であるイメージもある、あとはそういったことが行われてるこの人間社会そのものが「Sphery」だというイメージもありました。 ――「Rendezvous」という言葉についても改めて聞かせてください。藤原さんは以前からライブは待ち合わせだ、出会うことなんだと仰ってきましたよね。なので、すごくぴったりする言葉だなという実感はあったのではないかなと思います。 藤原:すごくぴったりだったんです。これはずっと思ってたことで。特に前のアルバムから今回のアルバムまで、コロナ禍も含めた5年間で「Silver Jubilee」、「be there」、「ホームシック衛星2024」、「Sphery Rendezvous」という4本のツアーを回って、そのことを特に改めて強く感じた。改めて思い知らされる部分があったんですよね。会うということの、自分にとっての大きさ、自分の曲を受け止めてくれた人の存在の大きさ、その人と会うという行為の大きさ、大切さ、それが自分にもたらすものの大きさ。そういう圧倒的な事実を今まで以上に強く感じながらの5年間だった。それをタイトルに冠するのがこのタイミングだったんでしょうね。「be there」もそうですし、存在とその位置関係みたいなものが、自分の中でより強く意味を主張していた。そこにクローズアップしていった感覚がありますね。 ――アルバム「Iris」には、今おっしゃったようなライブの喜びとか大切さが結実していると思います。「Sphery Rendezvous」はアルバムを引っ提げてのツアーというわけでもあるんですが、この5年間の歩みの中で新たに気付いたことを詰め込んだアルバムでもあるわけなので、この5年間のツアーの集大成みたいな感じもありました。 藤原:本当にそうだと思います。ライブをやりながら曲を作ってたんですよね。ツアー中に作った曲も、ツアーとツアーの間に作った曲もあった。曲を作って、それをみんなでレコーディングして、世の中に放り投げて、それを受け取ってくれた人がいて、その人と会うということをしながら作ってきたアルバムだった。そこで感じていたことが馬鹿正直に曲に出ていると思います。「strawberry」なんかはMCで喋ったことそのままを歌詞に書いたりもしていたので。そういうアルバムを引っ提げてのツアーだったら、それはもう5年間の集大成になりますよね。 ――「ホームシック衛星2024」と「Sphery Rendezvous」との繋がりについてはどうでしょうか。コンセプトは全然違うものでありつつ、28周年のリバイバルツアーをやったからこそ今の最新型の曲をやるという、何かしらの繋がりを感じられるようなものでもあったと思います。このあたりはどうでしょうか。 藤原:やっている方としては、やる内容は全く違うので、全く違うツアーをやったという感覚ではあるんですが、心を込めて本気でやっていれば当然関係してくると思います。28周年の最中だったというのも大きいですね。28周年だからこそできるツアーというのがリバイバルツアーの「ホームシック衛星2024」だった。ほとんど16年以上前の曲だけでセットリストを組んだツアーをやらせてもらえるなんて、本当に幸せなことだったと思います。それをやることができた自分たちがステージに立っていて、その後に今の自分たちを届けることができている。リバイバルツアーのセットリストと、そこからそんなに間をあけず、また別のツアーで今の自分たちのセットリストを見せるツアーができた。それはただの事実なんですけれど、この事実がやっぱり圧倒的なんですよね。実際、意識しながらやった作業もありました。28周年の最中だから「ホームシック衛星2024」でハイライトだった曲は入れようということで「飴玉の唄」を入れたり、あとは「メーデー」を「星の鳥」とつなげた「orbital period」バージョンでやろうというのもあって。1曲目の「Theme of Sphery Rendezvous」には「メーデー」というアナウンスが入っているんですけど、 そういうのも28周年だからこそというところでもありました。「メーデー」というのは活動何年目だろうが自分たちがどこまでも背負っていく概念ではあるんですが、28周年だからこそ、そういうSEにしようってことで作ったものでしたね。 ――この「Theme of Sphery Rendezvous」をどう作っていったかについても、もう少し詳しく聞かせてください。このイントロに「メーデー」という声を入れた時に考えていたことについてはどうでしょう? 藤原:「メーデー」の中で歌っている哲学みたいなものは、それ以前もそれ以降も、自分の音楽活動のベースにあるもので。まずそれが大前提としてあるんですね。「メーデー」というのは、要するに人と人が出会ったり、関わったりすることに対する俺なりの哲学みたいなものだと思うんです。それは「僕と君」とも、「楽曲と君」とも言えるし、ライブで出会うのもそうだし、関わり合って関係を深めるというのは、こういうことなんだろうなっていう。それが「メーデー」で。僕はこの「Sphery Rendezvous」当時、そこに至るまでのその何本かのツアーにおいて、今まで感じてきていたこと、自分が一人でスタジオで曲を書いて、それが別の空の下で生活をしていた誰かの耳に届いて、その人が時を経て今目の前に来てくれているというその事実が、ものすごく大きなものとしてあって。もちろんライブに来なくても、お家で大事に聴いてくれている人もいる。そういう人の存在も合わせてすごく大きい。それで序盤の雰囲気がまず決まったんですね。 ――ライブのオープニングのシーケンスサウンドって、すごく重要なものだと思うんです。あれが最初に流れることで、ライブ全体のムードやコンセプトが伝わってくる。たとえば「BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016 "BFLY"」の時もすごく長いオープニングがあって、あのシンセのサウンドだけで、アルバム「Butterflies」の世界観とか、ライブに来た時のウキウキして高揚していく気持ちが表現されている感じがあった。「ホームシック衛星2024」の時も「orbital period」の物語に全員を誘うようなムードがあった。言葉じゃなく、サウンドだけ伝わるものがあると思いました。 藤原:ありがとうございます。きっと、今僕が言語化に苦労しながら喋ってたことが、皆まで言わんとも音になって伝わった気はします。そういう風に伝わってたんだとしたらすごく嬉しいです。で、そういう全体の雰囲気が決まって。その中に「メーデー、メーデー、メーデー」という機械音声の声を入れたんです。誰かの「メーデー」を僕は拾ったのかもしれない。あるいは僕らからの「メーデー」を誰かが拾ってくれたのかもしれない。その結果が今この空間なのかもしれないという、そういう意図ですね。 ――それが今回のライブへの思いにも繋がった。 藤原:「自分にとってライブって何だろう?」って思うことがあって。「BUMP OF CHICKENにとってライブって何ですか?」とか「あなたにとってライブってどういうものですか?」っていう質問、この仕事についてから結構な数言われてきたんです。前はうまく答えられなくて濁すことが多かったんですけど、でも、自分なりにこの5年間の中で出た答えが「自分の音楽を受け取ってくれた人に会う場所」というものだった。それはただの事実ですけど、それ以上はないな、それがライブなんだなって思ったんです。会うということ、それにまつわるものが、自分にとってとても大きい。ここに来るまでの道程がどうだったのか、どういうストーリーがあったのか、お互いの間にどういう絆の歴史があるのか。僕と君の人生の中でほんの数時間出会ったということが何を意味するのか。その瞬間にどんな思いで自分は臨むのか、その瞬間が自分に何をもたらすのか。それに、出会った以上は別れも確定しているわけで。ライブが終わって、みんなじゃあね、またねって、各々の生活に帰っていく。そういう未来を抱えた我々が今ここにこうやって一緒にいられることの意味とは何なのかとか、そういうことを考えながら、バンドインしてからのアレンジが決まりました。そしたら、オペラみたいな激情型のアレンジになったんですよね。思ったことがそのまま感情になってます。今の僕たちにとってライブがもたらしてくれることの大きさ、それに対して思ってることが、そのまま「Theme of Sphery Rendezvous」という曲になりました。歌詞の言葉もない分、音が雄弁に語っている感じですね。 ――スケール感も大きいし、オープニングの数分間だけで物語を感じられるなと思います。このロマンティックな音が広がっている中で円形のステージで登場するというシアトリカルな演出も素晴らしかったですね。 藤原:これは舞台美術を考えた山田健人監督の仕事の素晴らしさですね。この人に任せてよかったって、ツアー中も思ってたんですけど、今回映像作品を見た時に改めて思いました。俺たちがやってることをこういう風に伝えようと演出してくれてたんだなって、客観的に見て改めて思いましたね。 ――セットリストは「Theme of Sphery Rendezvous」で始まり、本編ラストが「窓の中から」になっています。壮大な空間の光景をイメージさせる「Theme of Sphery Rendezvous」から始まり、最後に1対1の関係性にフォーカスした「窓の中から」で終わるというのも、すごく意味があると思いました。最後に距離の近さを受け取って持って帰れるライブだったのではないかと思います。 藤原:「Theme of Sphery Rendezvous」の中に、歌詞はないけど声は入ってるんです。それが「窓の中から」のコーラスと同じなんですね。全く同じメロディを歌ってるんです。テンポもちょっと早いしコード進行も違うので気付かない人もいたと思うんですけれど、「窓の中から」を聴いてくれた人なら知っているメロディを冒頭で歌ってるんですね。「窓の中から」で締めようと決めていたので、そういう曲になったってのもあります。スケール感の大きな曲から始まってミニマムになるという話ですけれど、「窓の中から」も内包しているものは大きいと思うんですね。でも視点が違うというか。「Theme of Sphery Rendezvous」は歌詞がないから視点の置きどころは自由ですけれど、たぶん壮大さとか広がりを感じたと思うし、「Sphery」の星空感、天体感みたいなのが、少なからず含まれてたと思うんですよね。で、なかなか自覚しづらいとこだけど、俺から見たら君が星なんだよっていうのを、どこまで行っても伝えようとしてると思うんで。その現象が起きてるんじゃないかなと思います。 ――なるほど。 藤原:「窓の中から」というのがどういう曲かと言うと――。人は自分の心の中に不可侵領域を持っていて、その中に自分の本質が存在している。そこには窓がついていて、その窓から世の中を見て、世の中と繋がっているという、そういう認識が昔からあるんです。面と向かって喋っていても、あくまで自分の中の不可侵領域についてる窓の中からあなたと話している。そういうものをみんなが持っている。外に出て街を歩いているときも、みんな自分の不可侵領域という部屋を心の中に持ち歩いていて、その部屋についている窓の中から社会生活を行ってるわけで。渋谷のスクランブル交差点を歩いていても、自分の本質は窓の中にある。だとするならば、窓に明かりが灯ってれば、それはさながら宇宙に浮かぶ一つひとつの星のようだ、と。そこから「Sphery」という言葉も出てきたんです。僕と、僕らの曲と、聴いてくれたあなたは、お互いに興味を持ち合えて、窓の中から見つけ合えたのかもしれない。それが「窓の中から」の冒頭で歌ってる「ハロー ここにいるよ」「瞼の裏の 誰も知らない 銀河に浮かぶ すごく小さな窓の中から 世界を見て生きてきた ここにいるよ」ということなんです。見つけあった結果、お互いが歩み寄って、待ち合わせして、ライブで出会った。それはとても素敵なことで。「窓の中から」はそういう世界観を歌った曲です。 ――今藤原さんのお話を聞きながら、PIXMOBのことを思い出していたんです。BUMP OF CHICKENのライブでは、手首にはめたPIXMOBが光るのが定番の演出になっていて、そのことも今話していただいた話と繋がるなと。 藤原:だから僕は光の演出が好きなんです。他のメンバーも好きだと思うんですけど、光の演出について、僕には僕なりの哲学がある。スタンド席の人はアリーナの人たちのPIXMOBの光が、アリーナの人はスタンド席の光が見えるじゃないですか。すごい綺麗なんですよ。でもスタンドから見たあなたはその光の一つなんですよ。それはとても大きなことで。僕はその概念が好きなんです。すごく沢山の光があるけれど、それはどこまで行っても一人ひとりなんだよという事実がある。それも僕がライブで感じている大きなことの一つをそのまま表している現象で。やっぱりどこまで行っても一対一だと思うので。そういうところから僕はあのPIXMOBの光の演出は僕がとっても大好きです。ただ、時々光らない人がいるらしくて。それは「ごめんね」と思います。トラブルのときは遠慮なく近くのスタッフに言ってくれたら、交換してもらえるようになってるはずだから。それは言ってくださいね。 ――BUMP OF CHICKENのライブはPIXMOBを持って帰れるのも素敵だなと思うんです。というのは、今の藤原さんがPIXMOBについて語ったことって、「なないろ」の歌詞の話にも通じると思うんですね。ライブに行った人の多くは、PIXMOBを家に持って帰って、部屋のどこかに飾っていたりする。そのライトはもう光っていないわけだけど、それは「なないろ」の歌詞にある「昼間の星」と同じようなものだと言える。光が見えてないだけで、光ったという事実は消えない。そう考えると、ライブで感じたものをずっと持っておける、自分が星空の星の一つだったんだっていうことを証明できるものが家にずっとあるって、すごくいいことだなと思ったんですよね。 藤原:本当にそうですね。そう考えると、光ってたものが光らなくなってるってことさえも愛しい事実になる。おっしゃる通りだと思いました。

――ちなみに、ツアーで思い出深いエピソードはどんなものがありましたか? 藤原:若い頃って、もっと各地を観光していたんですよ。でも、ライブに向けて「こうやったら声がもっと出る」とか「こうやったら翌日の筋肉疲労が減る」とか、いろいろわかってくることが増えてきて、だんだん観光できなくなってきた。いいことではあるんですよ。伝えたい思いがあって、そのためにしっかり準備するわけなので。でも観光があまりできなくなったことは寂しいことではあるんです。それでも今回は金沢の2days終わった次の日に1人で頑張って観光に行きました。頑張って早起きして、タクシーに自分の身体を放り込んで、前に友達に教えてもらった神社に行ったんです。そしたら、朝から土砂降りだったんだけど、タクシーから降りたら雨が止んだんです。帰りにタクシーの運転手さんに「ここの近くにあるあそこの神社も人気スポットだよ」って言われて。神社を2つ巡って、すがすがしい気持ちで帰りました。ヘトヘトだったけれど、金沢のライブに来てくれた人の街のことを少しでも知ることができて、刺激的でした。 ――プレイヤーとして熱量高く向き合ったと思える曲にはどんなものがありましたか? 藤原:ギターにおいてリードを取る曲が何曲かあって、そのうちの何箇所か、例えば「飴玉の唄」のギターソロとかでは、各会場で同じことを弾かないというのはありましたね。最初に何回かやってるうちに毎回違うフレーズが出てきたんで、その時の思いつきで弾こうとなった。それは面白かったです。 ――リスナーの中にはご存じの方も多いと思うんですが、藤原さんはライブごとに曲の歌詞が細かく変わることもありますよね。ギターフレーズが変わるのと共通するような感覚はありますか? 藤原:同じだと思います。ギターフレーズが変わる、歌詞が変わる、歌メロがアレンジされる、これは全部同じところが出どころになっていると思います。音楽的な楽しさだったり、本能的に伝えたいと思ったことが優先されてしまうんですね。気をつけてはいるんです。たとえば「ここは他のメンバーがハモるところだから」とか。でもそこで別の歌詞を歌っちゃったりする時も稀にある。そうするとハモるメンバーはびっくりするじゃないですか。特にヒロとチャマには「ごめん」ってなる時はあるんですけど。そこでも自分の本能的な部分が優先されちゃう時があります。よくあるじゃないですか。若い頃は原曲に忠実に歌っていたミュージシャンが、キャリアを積むにつれて、歌い方にクセが出てきたり、やたらアレンジするようになるって。でも僕は若い頃からそうなんで(笑)。 ――たしかにそうですよね。 藤原:ライブって、そうなっちゃうんですよ。目から入ってきたり感じたりした情報がそのままその時歌う言葉に反映される。やろうと思ってそうなるわけではなくて。ただ、曲によるんです。ギターフレーズに関しても、決まったことをちゃんとやることが自分の中でビンビン来るという曲もある。でも、そうじゃないものは毎回違うことをやりたい。今のところはそれで良いかなと思っています。原曲と全く同じものが聴きたいという方に対しては、ただただ「ごめんね」と思います。年とったからとかそういうことでもなく、ガキの頃からこうなんです。その時の音楽的な楽しさ、本能的に伝えたいと思ったことが優先されてしまいます。 ――ツアーを振り返って、どの公演が印象的でしたか? 藤原:仙台サンプラザホールは心に残っています。チャマの誕生日をみんなでお祝いできたのも嬉しかったし。あの日はチャマが最後に出て一言言わないとお客さんも納得できないよなと思って、僕がチャマに締めの挨拶を促したんです。そしたら「メンバー出てきて」と言われて、楽器を持つよう促された。で、チャマはまさかのGreen Dayの「She」をやろうと言い出して。 ――やってみてどうでしたか? 藤原:「She」は、「ホームシック衛星2024」の時に楽屋で本番の5分前くらいにウォーミングアップ代わりに演奏してたんです。升くんは練習用パッドを叩いて、増川くんがミニアンプを使ってエレキを弾いて、チャマはベース、僕は歌うだけか、あるいはアコギがあったらアコギも弾く。それでGreen Dayの「She」と「Pulling Teeth」をやっていたんです。どっちも10代の時にコピーして実際ライブハウスでもやったこともある曲です。「ホームシック衛星2024」の時はやってたけど、「Sphery Rendezvous」になってやらなくなっていたんですよね。で、その曲を突然チャマからリクエストされて20数年ぶりにステージでやったんです。2番のところは音源ではなくライブバージョンのビリー・ジョーを真似して歌うみたいなことまでしちゃったりして。チャマが「She」をやろうぜって言ったときはびっくりしましたが、でもやれてよかったなって。思い出の曲を4人であのタイミングでステージの上でやることができて、それを仙台サンプラザホールに来てくれたお客さんに見届けてもらえて、本当に良かったなと思いました。 ――最後に聞かせてください。アルバム「Iris」のインタビューをさせていただいた時には「これからツアーに向かって、そこで『きっとこういうことだったんだ』って気付くこともあるだろう」と仰ってました。その予感に対して、実際にツアーを終えた時に感じたことはどんなものでしたか? 藤原:終わった時に感じたことは、結局、バンドのことは俺たち4人全員が分かってたんだな、ということだったと思います。だんだん気付いていったのは、これは5年分の何かだったということ。9月7日から12月8日までの3ヶ月間のことではなくて、ケリをつけなければいけない5年分の何かを持ってステージに上がってたんだなっていう。28年分の何かとも言えるかもしれない。それは「Sphery Rendezvous」というタイトルをつけた時にきっと思っていたこと、感じていたこと、分かっていたこと、知っていたことで。もしかしたら知っていることに無自覚だったり、無意識的なものだったかもしれないけれど、その大事なものを分かっていくツアーだった気がします。曲を受け取ってくれた人が存在するということ、そしてその人と会うということ。この4人でいる意味とか、ステージがあること、ライブをすることの意味とか、そういう根源的なものが全部詰まったツアーだった。それを僕ら4人は知っていたということを分かっていった気がします。だから新たな発見があったとかではないです。 ――必然を手にしていくという感じですね。 藤原:そうですね。より自分たちのことが分かった。そういう5年間であり、1年間であり、3ヶ月間だったなと思っています。 取材・文 / 柴那典