「Sphery Rendezvous」増川弘明インタビュー

2025.12.10

――「Sphery Rendezvous」を振り返って、バンドにとって、ご自身にとってどんなツアーになったと感じていますか? 増川:1年間に2回ツアーをやるっていうのはあまりなかったことで。だから、ある種の試練というか、短い期間で良いものにするために超えるべきハードルもあった。それもあって感慨深いものになったなと思います。アルバム「Iris」からの新曲を沢山やったし、いろいろな挑戦ができて面白かったですね。 ――準備することも沢山あったと思うんですが、そのあたりはどうでした? 増川:フェスや単発のライブで徐々に曲を披露していくことが多かったんで、いきなり沢山の曲を初披露するツアーの機会はそんなになかったんです。「ホームシック衛星2024」とセットリストも全然違ったので、その前から少しずつ準備してました。曲のレコーディングが終わって少し経つと感覚が離れちゃうので、そうならないように自分の中で細かいフレーズを確認するようにはしていましたね。 ――ツアーに向けてコンディションを整えたりする部分もありましたか? 増川:始まるまでの準備って、机上の空論の状態がずっと続くわけですよ。どんなにみんなで合わせても、どんなにアンプのセッティングを変えて音をいじっても、あくまでお客さんがいない状態での作業でしかない。ステージ当日まで反応は見られない。そのもどかしさみたいなものがずっと続くんですよね。だからツアーが始まって「これで良かった」って安心した感じはありました。始まってからはずっと楽しかったですね。 ――ツアー初日はベルーナドームでしたが、そこでセットや演出を見た時の感覚はどうでしたか? 増川:僕らがセットを最初に見た時も、お客さんの反応に近いものでした。「わ、すごいな」って。神々しいというか、ここで演奏したらどうなっちゃうんだろうみたいなワクワク感がありました。いろんな人たちの準備が初日に収束するので、初日はとても大きな経験ですね。 ――山田健人監督の演出はどうでしたか? 円形のステージとリングのインパクトはかなり強かったんじゃないかと思うんですが。 増川:「何か、とてもすごいことが起こるぞ」みたいな感じでした。山田監督はすごく頼もしい感じがありますね。自分たちのライブに対するモチベーションは変わってないんですけど、後押ししてくれるというか、こっちの気分も高めてくれるようなところがある。楽しむ幅が広がったというか、演出によって自分も入り込んでやれるようになった。すごくポジティブな経験でした。 ――ベルーナドームはかなり体力的にキツいものだったそうですが、そのあたりはどうでしたか? 増川:すごく暑かったです。ゲネプロも含めると体力的にはかなりしんどかったのはあって。でも僕としては、ここがピークだなっていう。これよりも大変なところはないだろうと思っていたんで。この夏を乗り越えようという感じでした。 ――その後のバンテリンドーム ナゴヤ、京セラドーム大阪の辺りはどうでしょうか。オフステージも含めて、どんな記憶がありますか? 増川:それこそベルーナドームも、名古屋も大阪もそうだったんですけど、最近は会場に入ると、楽屋までの廊下に現地のイベンターが名産品のコーナーを作ってくれているんです。それがすごく嬉しいんですよね。ホワイトボードに「歓迎」って書いてあったりもする。各地でその写真を撮って残してあります。僕はそういうのも楽しみなので。ライブはもちろんですけど、それにまつわるいろんなことが好きなんですよね。 ――チャマさんのSNSの発信を見ても、各地でメンバーみなさん一緒にご飯を食べているのがわかります。 増川:そうですね。メンバーとスタッフと、主に前乗りした日の夜にご飯を食べに行ってます。ライブ後は遅くなるし、あまり沢山は食べられないので。 ――ツアー各地で食べたもの、美味しかったものにはどんなものがありました? 増川:仙台ではセリ鍋が美味しかったですね。北海道は海鮮も食べたし、ラーメンも食べました。名古屋は天むすと、味噌煮込みうどんと、ひつまぶし。福岡はイカのお刺身も美味しかったし、ここでもラーメンを食べました。僕は各地で行ったお店をGoogleマップでピン留めしてるんです。いつかまた行けるように。何年か前からやってますね。 ――金沢はどうですか? 増川:金沢も魚が美味しかったですね。あとは地元の丸芋が入っていたお鍋がすごく美味しくて。こっちでは食べないようなお鍋で最高でした。各地に3泊くらいするんですけれど、まともに夜ご飯を食べられる日ってなかなかないので。だから大事にしたいし、なるべくみんなで一緒に行けたら僕は嬉しいです。 ――宮城、北海道、金沢はホール公演でしたが、初めてホールに立ってみての感触はどうでしたか? 増川:やっぱり客席が近かったですね。ドームとホールはキャパの差がすごいので、どうなるんだろうと思っていたんです。でも僕らは古くからライブハウスでやってきたので、全然平気だった。ただ本当に近いんで、その感じは面白かったですね。すぐに客席に降りられるような距離感だし、そこで確かめられたものもありました。ドームって、ステージから歓声は聞こえるし、手は上がっているのは分かるけれども、表情までを読み取ることはさすがに難しいんですよ。でもホールの距離感だと表情もわかるし、こういう人たちが来てくれてるんだなって感触が掴める。僕らとしては、大きいところでやるのも好きだし、近いところでやるのも好きなんですよね。いろんな地域に行きたいというのもありますし。 ――ツアーを振り返って、個人的に特に記憶に残ってる場所はありますか? 増川:金沢は久しぶりだったし、初めての会場だったんで、ハッキリと覚えてますね。7年ぶりということを言ったMCの感じも覚えていますし、街の感じも好きなんですよ。ドームと違って、普通の住宅っぽいところに会場があるんです。その街にお邪魔させてもらった感じがしてよかったですね。よくライブ翌日に街を歩いたり、地元の温泉に行ったりするんです。金沢でもタクシーで温泉に行きました。各地でそういう場所を調べるのも好きなので。 ――ライブ前後のルーティンについても聞かせてください。楽屋やオフステージではどんな感じで過ごしているんでしょうか? 増川:ライブ前のルーティンはメンバーそれぞれあると思うんですけど、僕もある程度は決まってきていて。当日朝は会場でご飯を食べて始まります。前日は早く寝て、起きたらストレッチして楽器を触る。メンバーとはあまり会わないんですよ。みんないろいろやってるんですよね。喉の調子を整える人もいれば、セッティングで楽屋にいなかったりする人もいれば、イヤホンで曲を聴いてチェックしてる人もいる。それぞれのルーティンがあって、自分もいろいろ確認したりしてますね。 ――決めていることはありますか? 増川:自分の中のルールとして、あまりお菓子を食べないようにしているというのはあります。深い理由はないんですけれど、口の中が甘ったるくなるのを避けたいというのと、血糖値をそんな上げたり下げたりしない方がいいと思うので。そういうことは気にしてますね。 ――オンステージの決め事についてはどうですか? 動きやパフォーマンスで心がけていることは? 増川:山田監督と一緒にやるようになってから、いろんなアドバイスをくれるようになったんです。いつもステージの端の方まで歩いていったりするんですけれど、曲によってはあまり激しく動かない方がいいと言ってくれたりする。むしろこの曲は行かない方が格好いいです、と。そういうこと言われたのは初めてで、すごく見えてるんだなって思いました。自分の立ち位置と照明や後ろのモニターとの関係も含めて、有機的にステージが作られているのを信じられるので、いい意味で、あまり個を出す必要がないと思うようになった。自分が積極的に意識しているわけではないんですけど、そこについては安心してやってますね。 ――見ている人からすると、動きにメリハリが効いて感じられるのは大きいと思います。 増川:そうなんですよね。この曲でここまで行く、っていうのをとっておいてあるというか。その効果は大きいと思います。 ――セットリストについても聞かせてください。思い入れのある曲、記憶に残っている曲はどうでしょうか? 増川:みんなも同じこと言ってそうだけど、「レム」のアイデアは自分も意外だったので、とても新しい気持ちでやれました。あと「アカシア」にはすごくお世話になったような感じがありますね。ライブにおける新たなアンセム的なポジションになってくれたのが、すごく頼もしかったです。 ――「お世話になった」って面白い表現ですね。でもアンセム的なポジションになったというのはすごくわかります。 増川:そうなんですよ。ライブは生物で、僕らとお客さんで作っていく空間だと思うんですけど、それにおいて「アカシア」はとてもいい結びつきを生んでくれる。気持ちを連れていってくれるような感じはありました。 ――コロナ禍でライブができない時があったり、声が出せない時期があったり、そういう過程でできた曲ゆえのエネルギーみたいなものが曲に宿っているような感じもありますね。 増川:本当にそうですね。最初に「アカシア」をやった時は、まさにそういう状況だったので。コールアンドレスポンスはできなかった。そこを超えてきた曲でもあるので、こっちも感慨深い気持ちになりました。 ―― ギタリストとしての目線ではどうでしょう? ギターのプレイや音作りに関してこだわった曲は? 増川:「青の朔日」や「邂逅」は、ギターのサウンド面でライブに向けてかなり作り込んでいきました。今までの、クリーン、クランチ、ソロという3つだけじゃ、どちらも全くチャンネルが足らない曲なので。それ以上の、1曲の間に7つくらいの音色を使い分けてます。 ――どちらの曲も音色に語らせるというのが楽曲に求められる感じはありますね。 増川:そうですね。生半可じゃ演奏できない曲だなとは思います。すごく繊細で、やればやるほど、突き詰めるポイントが精細になっていくみたいな感じでした。他の曲もどんどんそうなってきてますね。「ガラスのブルース」も「もっと合わせられるんじゃないか」みたいな感じになってきている。藤原君がギターを弾かなかったら、演奏は3本だけで、そこに歌が乗る。それって究極の状態じゃないですか。一番ソリッドで、一番楽しくて、一番恐ろしい部分だという。そういうことは考えてますね。「レム」もそうですね。「レム」は、このツアーのリハの初日から最終日までで作ったようなもので。この曲は曲中でギターを持ち替えてるんですけれど、そういうことって、これまでほとんどなかったんです。それもスリリングで面白かったです。あの曲の後半はかなり没入してますね。 ――あそこまでギターを弾きまくるシーンは、BUMP OF CHICKENの楽曲だとなかなか珍しいかもしれないと思いました。それによって生まれるパワーも大きいし、センターステージでそれやってるというのがすごくいいなと思います。 増川:確かに。僕もやってみてもさらにいいなと思いました。センターステージはすごく良かったですね。曲の表情が変わるところも含めて、自分たちも楽しかったです。 ――ツアーファイナルの東京ドームでのことについても聞かせてください。MCで「始まったからには終わってしまう」と言ってました。あの時にはどんな思いがありました? 増川:本当にその言葉の通りなんですよ。毎回その日のためにいろんなものを持っていくんですけど、これが終わったらその場所はなくなるんだなって。単純に寂しい気持ちがあった。「始まったぜ!」って言えばいいんですけどね。そういうつもりだったんですけど、そう言ってしまう。 ――序盤から終わってしまう寂しさを共有しているって、すごくBUMP OF CHICKENのライブらしいなと思います。 増川:そうですよね。年齢と共にそういうことを考えるようになったのかもしれない。さっき言った、なるべくみんなでご飯食べたいというのも、わりとそういう気持ちもあって。全てを知っている神様のような存在がいるとしたら、「この日のライブは、一生のうちの何回目だよ」って知ってるわけじゃないですか。そういうことを考えると寂しくなってくる。各地で食べた食事もそうですし、みんなで行った移動の時間もそうですし。そういうことを考えることが増えたような気はします。 ――ツアーを終えて、その先の予定はしばらくない、と。その時の気持ちはどうでしたか? 増川:直後は、抜け殻的になってました。しばらくしてからじわりと、「もうないんだ、寂しいな」という思いがやってきて。2024年はほとんどそうだったんですけど、家に帰ってもスーツケースをしまわないんですよ。洗濯物を出したり、多少は片付けるけれど、すぐ出せるように部屋の隅っこに置いていたんです。それをしなくて良くなったなって思った時にすごく寂しくなってきて。そういうところで実感がわいてきました。でも、いいツアーをやれた手応えもあったので、自分をいたわってご褒美を与える時間を能動的に作ろうという気持ちもありました。頭をフレッシュにしたかったし、のんびりと、あまり予定を考えずに過ごすこともした方がいいだろうなと気持ちを切り替えるようにしてました。 ――わかりました。ちなみに、ツアー中にハマっていたものについてはどうですか? コンテンツでも行動でも、マイブーム的なものはありましたか? 増川:僕は相変わらず、iPadに漫画を入れて読んだり、昔から好きな音楽を聴いたりしてましたね。あまり好みは変わってないんです。最近だったらSmashing Pumpkinsを聴いていたし。そんな感じで、若い頃から変わらず同じようなものを聴いてます。いい音を聞くと、「その音ってどうやって出してんだろう」みたいな。そういう作用もあるので。 ――漫画はどうでしょう? 増川:漫画は電子書籍化してから、気付いたら沢山本を買ってますね。最近の漫画は本当に面白い。『この世界は不完全すぎる』とか、いわゆる異世界系も沢山読んでました。あとは山田芳裕先生が好きなので『望郷太郎』も読んでましたし。ジャンプも大好きなんで読んでました。あと、最近は藤田和日郎先生の『シルバーマウンテン』が出たのでそれを読んでます。 取材・文 / 柴那典