「Sphery Rendezvous」升秀夫インタビュー

2025.12.10

――「Sphery Rendezvous」を振り返って、ご自身にとってどういうツアーになったという感触がありますか? 升:東京ドームのファイナル公演を迎える時にメンバー同士で話していたのは、この5年間の集大成的な感じがするよね、ということですね。前のアルバムのツアーをやりきったあとに、また「アカシア」から作り始めて。「Iris」というアルバムを作る間に「Silver Jubilee」、「be there」、「ホームシック衛星2024」という3本のツアーをやって。そういう2020年から2024年の集大成という感じがしています。 ――ツアーが終わった時の感触はどうでしたか? 升:達成感と虚脱感みたいな感じですね。これまでのツアーと違うのは、これまでは常に次がもう決まっていて、終わったけど終わってないみたいな感じだったんです。特に「ホームシック衛星2024」から「Sphery Rendezvous」は、セットリストも違うし、期間も短いし、虚脱してる場合じゃなかった。でも今回はやり切った実感がありました。この数年なかった感覚でしたね。でも同時に寂しさもありました。お客さんの素敵な景色を見てきたけれど、その予定がなくなっちゃったなっていう。 ――ここ5年間はコロナ禍でなかなかライブができなかった時期もあったわけだし、ライブの喜びや大切さみたいなものを一つひとつ積み重ねた5年間という感じもありますよね。 升:そもそもライブができないっていうところからのスタートでしたからね。僕らの場合は、まずスタジオライブで画面上から音楽を届けることから始めて。そこから幕張メッセでやって、その次の「Silver Jubilee」は歓声なしのライブハウスツアーで、次の「be there」の途中あたりから歓声がOKというタイミングになった。世の中が日常を取り戻していくのをステージ上から感じられたおかげで、今まで普通にライブをやれていたことの貴重さも改めて感じられましたね。 ――2024年は「ホームシック衛星2024」と「Sphery Rendezvous」という2つのコンセプトのツアーがあり、しかもやることが全然違った。これはどうでした? 升:やってみると、そんなに間が空いてないんですよね。「ホームシック衛星2024」が4月末に終わって、4ヶ月くらいあって「Sphery Rendezvous」という。全然違うものっていうよりは、繋がったものとしての流れはありました。あとは「ホームシック衛星2024」の直前に「Sleep Walking Orchestra」が出たり、その前にも楽曲制作をしていたので。リリースした新曲をあえてやらないツアーをやったおかげで、「Sphery Rendezvous」で曲を届けたいというモチベーションがより高まったっていうのがある気がしますね。 ――「Sphery Rendezvous」のツアータイトルを決めた経緯の話は藤原さんにお伺いしたんですが、そのファーストインプレッションはどんな感じでしたか? 升:まずタイトルに辿り着くまでのコンセプトというか、こういう思いがあって、こういうタイトルにしたいっていうのをすごく丁寧に説明してくれて。最初は「Sphery Iris」がアルバムタイトル候補だったんですよね。それが決まったのが2023年ぐらいだったんです。「ホームシック衛星2024」が始まる前、ツアーの打ち合わせをしてる時にその話が出たんですよね。こういうコンセプトのアルバムにしたいって。それで「いいね、いいね」と盛り上がって。で、そこから「Iris」になって、ツアータイトルが「Sphery Rendezvous」に決まったのが「ホームシック衛星2024」のツアー中だったんです。大阪でのライブ前だったんですよね。それも、リハの前後とかじゃなくて、ライブの始まる直前だったんです。藤原君が「『Sphery Iris』で考えていたんだけれど、『Iris』にした方がいいと思うんだ。だからそっちにするね」って。「え?」「いいじゃん!」って言ってるあいだに「星の鳥」が鳴り始める、みたいな感じだったと思います。 ――そんな重要な情報を受け取ったばっかりのタイミングでステージに上がってたんですね。 升:そうなんですよ。で、その後の打ち上げの時にみんなで改めて話して、ツアータイトル「Sphery Rendezvous」とアルバムタイトル「Iris」で行こうって決まったっていう。そんな感じでした。藤原君はいつもすごく丁寧に説明してくれるんです。こういうインタビューの時はそういう話を何回か経て話が整理されているんですけど、もっと遡ったところからスタートして話してくれるので。 ――特にここ最近、藤原さんのツアーや活動のコンセプトや考えの説明がとても饒舌になっていて、それがバンドの大事にしているものをリスナーと共有するうえですごく大きな役割を果たしていると思うんです。お話を聞いて、その最初の共有がメンバー3人にあるんだな、と思いました。 升:まずそうですね。そこで明確に説明してくれるから、山田健人監督だったり8%チームだったりとの共有もすごく純度高くできている印象もあります。どちらも僕らのことを理解してくれているし、素晴らしいチームでやれている。だからああいうステージだったり、ビジュアルが生まれてきてくるんだなって思いますよね。 ――特にドーム公演のステージは円形で、照明を仕込んだリングの舞台装置もあって、すごく印象的なセットでしたけど、ステージに立ってみての実感はどんなものでした? 升:すごすぎて現実感がわかない感じでした(笑)。ベルーナドームで見たのが初めてですよね。興奮して「すげえ!」って言って、いっぱい写真撮りました。しかも動くし光る。やってると逆に全貌が分からないんで、後で映像作品を見た時には「こんなんだったんだ」ってすごくびっくりしましたね。 ――映像を見ての感触はどんなでしたか? 升:今までやったことない感じでしたね。新しいけど違和感がないというか。ただ格好いいだけじゃなく、ちゃんと自分たちの音楽に対して存在している必然性がある。しっくりくる感じでした。 ――ドラマーって、バンドのフォーメーション的には後ろからフロント3人を観る立ち位置ですよね。その視点ならではの感触というか、後ろから見るそのメンバーたちってどんな風に見えるんですか? 升:「行ったなあ!」って思うときはありますね。特にドームだと横は完全に視界から外れるぐらいの距離があるんで。「どこで弾いてるんだろう?」みたいな(笑)。距離が離れてもしっかり音で繋がってる状態っていうのは面白いですよね。距離があると客観的に見えるというのもあって、4人でバンドで演奏してるんだけど、3人がセンターステージでやってる時には普通に「かっこいいな」と思ったりします。自分もやってるんですけどね。 ――「メーデー」とか「レム」とか「SOUVENIR」でセンターステージに4人が行く時って、すごいバンドっぽい感じになりますよね。 升:メインステージも他のバンドに比べて距離が近い立ち位置になってると思うんですけど、センターはよりギュッとしていて。当たり前ですけど、4人で音を出してることを感じられるのは楽しいです。 ――セットリストについても聞かせてください。個人的に思い入れのある曲についてはどうでしょう? 升:やる前から期待してたのは「窓の中から」ですね。この曲がどういう風に響くのかなって。「ホームシック衛星2024」でもやってなかったし、オーディエンスと一緒に作る曲だから、どういう風にみんなが歌うのかなって、楽しみにしてました。期待以上でしたね。みんなが歌うところは自分が歌ってるところでもあって。ということは、マイクが横にあって横を向いているから、まっすぐ客席が見えなくて。それでもちゃんと拳を上げて歌ってくれてるのがわかったし、すごく嬉しかったです。 ―― プレイヤー的な視点としてはどうでしょうか。ドラマーとしての見せ場や工夫があった曲はありますか。 升:「青の朔日」はレコーディングだとサンプル音源と生ドラムっていう2種類の音を使ってるんです。他の曲もそういうのは多いんですけど、どう再現しようかをいつも考えていて。サンプラーを叩いたりもするんですけれど、「青の朔日」に関しては、生ドラムでやった方がいいなと思って。でも途中で音色も変えたい。そういう時はスネアを2つ置いたりしてるんですけど、今はスネアの左側にサンプラーを置いてるからそれもできなくて。じゃあ、サンプル音源のところはスネアにミュートをして、生ドラムのところでそのミュートを外して叩けばいいんじゃないかっていうのを思いついて。それをやってたんです。たぶんあんまり気づかれてないと思うんですけど。 ――曲の中で音色を切り替えていた。 升:ミュートを外したり、また戻したりして、2種類の音源を疑似的に出していたんです。注目もされていないし映像にも写ってないと思うんですけれど、これは画期的なことをやってたんじゃないか、発明なんじゃないかと自分では思ってます。 ――他のメンバー3人の動きやパフォーマンスで印象に残っているところはありますか? 升:ヒロが「ガラスのブルース」でセンターステージに行ってソロを弾くところとか、「クロノスタシス」のアウトロでチャマと藤原君が向き合って、仕掛け合っているところとか、沢山ありますね。自分は淡々とリズムキープ主体のプレイが多いので、そういうところを見て熱くなったりしますね。 ――今回のツアーではホールでのライブもありました。どんな体験でしたか? 升:ホールは本当に初めてだったんですよ。遡れば結成したばかりの時はバンドコンテストで日本青年館でやったりしてたんですけれど、ホールでワンマンライブをやったことは一度もなかった。だからスタッフから提案があったときには、もちろん他の人のライブで行ったことはあるけれど「どんな感じなんだろう」と思ってました。で、やってみたら、びっくりするぐらい近くて。最初は仙台サンプラザホールだったんですけれど、柵がないし、ステージが低いのもあって、体感としてはZeppより近い感じでした。あと、スタッフとかいろんな人に「音の聴こえ方がいい」って言われて。それは嬉しかったですね。 ――当然、ドームは物理的に音が届くのに0.何秒かかるわけですよね。演奏とか全てのパフォーマンスが遠くのお客さんにもちゃんと届くことを意識せざるを得ない。 升:そうですね。音楽をやる上で距離は関係ないってつくづく思うんですけど。でも、物理的に近いというのは本当にパワーがあるなって思います。顔というよりは表情がはっきり見えるし、反応がダイレクトに感じられる。ライブハウスもそうなんですけど、ホールは客席が傾斜になってる分、1人1人の顔がよりはっきり見える。自分たちの出した音にどう反応してくれてるのかっていうのがつぶさに分かる感覚は新鮮でしたね。 ――ツアーで各地を回ってきましたが、印象的だった場所や記憶に残ってる光景についてはどうでしょう? 升:これも仙台サンプラザホールなんですが、10月9日ですね。これはチャマの誕生日だったんです。だからサプライズでお祝いしようってなるじゃないですか。それが見事にドッキリ大成功って感じで。アンコールの時、こっそり作ってた「Happy Birthday Chama」っていうTシャツをみんな隠れて全員着て。「おめでとう!」って言って。「ハッピーバースデー」をみんなで歌って。予定通りアンコールで2曲やって終わって、みんながハケて。たぶんフジ君がチャマをステージにあげて、チャマがMCして、それで終わりかなって思ったら、チャマからステージに呼び出されて。ベースを持ち出したら「何が始まるのかな、もう1曲アンコールなのかな」って思ったら「これからGreen Dayやります」って言って。ダブルアンコールでGreen Dayの「She」をやったんです。 ――これは予定になかった? 升:そうですね。なんでこの曲をやったかという経緯があって。僕らの楽屋のルーティンで「She」を演奏するっていうのがあるんです。僕はドラムセットがないんでパッドを叩くんですけれど。それでウォームアップ的にテンションを上げるというのをいつも楽屋でやっていて。 ――昔のツアーからいつもやってたんですか? 升:いや、最近ですね。「be there」の時に始めて「ホームシック衛星2024」でもやっていた。「She」は結成した頃にコピーでやっていた曲で、その時の感じが熱いよなみたいな感じでやり始めたんですね。ただ、僕にしてみれば、ドラムセットで「She」を叩くのは20年以上ぶりだったんです。いつもは楽屋でトコトコ叩いてるだけだったんで。でも、やってみたらすごくよくできた。ビックリしたし、面白かったですね。 ――サプライズ返しだった。 升:そうです。ドッキリ返しです。でも構成もバッチリで、終わるところも一緒に終わって、上手くいった。その日の打ち上げも「おめでとう!」「やったな!」みたいな感じでした。ライブの最後のダブルアンコールで藤原君が歌い出して、急いでステージに上がるとか、そういうサプライズは前にもあったんですけれど、Green Dayの「She」をやったのは初めてですね。 ――楽屋のルーティンの話はお伺いしましたけれど、その他にもツアー中の決まり事はあったりしますか? たとえば体調管理のために気を遣っていることなど。 升:あんまり驚かれることはないですよね。ストレッチしてウォームアップしているくらいで、何も特別なことはしていない。当たり前のことをしっかりできることが大事だと思います。強いて言うなら、今回のツアーからライブ翌日のルーティンが変わったんですよ。ライブをやった次の日はいつも早めに目が覚めるんですけれど、疲れてるからお昼ごろまでベッドの上でゴロゴロしてたんですよね。でも、今回のツアー中の大阪あたりから、朝に起きて外に出て周りを散歩するようになった。それを習慣づけたらその日の眠りがすごい良くなった。早起きするようになりました。 ――ちなみに、升さんのオンステージの決まり事みたいなことについても聞いてみたいと思うんですけれど。MCの時、いつも直立不動になっているじゃないですか。 升:そうですね。なんかわかんないけど立ってる人っていう。 ――だいぶ昔からそうですよね。改めてなぜそうなったんでしょうか? 升:これはインディーズ時代、下北沢でライブやってた頃からのことで。その頃に配っていたアンケートで「見えなかった」という声がすごく多かったんです。でも当時の僕は反骨心に溢れてたんで、MCの時に「どうだ? 見えるだろう?」みたいな感じで立っていたという。それがずっと続いているんですよね。あとは、みんなが喋ってる時に座ってると休んでるみたいで気まずいのもあったりします。 ――MCで喋らないというのも毎回のことになっていますよね。ドームの時は肉声で「楽しい」って言って、その言葉を藤原さんとかチャマさんがみんなにマイクを通して伝えるみたいな場面もありました。これの由来は? 升:これも遡ること20年くらい前の話なんですけど、ドラマーの諸先輩方にはMCでマイクを使って面白い話をする方々が沢山いて。「これ、無理だな」って(笑)。だからマイクもなくていいって感じになったんです。 ――最後に聞かせてください。ライブでのオーディエンスの皆さんからの反響からはどんなことを感じましたか? 升:当たり前のことなんですけれど、聴いてくれる人がいるからライブができているというのは、改めて思います。またライブできるのがすごい楽しみだし、新しい曲を通して繋がれるのが楽しみだし、すごく素敵なことができている。そういう当たり前のことがすごく重く感じられるようになってきましたね。 ――BUMP OF CHICKENって、すごく不思議なバンドだなと思うんです。4人で成立していて、4人でずっと活動が続いてきている。でも、どんどんバンドが新しくなっているし、オーディエンスとの新しい出会いもある。そういう幸福なサイクルが回っているバンドだと思うんです。その感覚についてはどうでしょうか? 升:もちろん中心には4人があるんですけれど、山田健人監督だったり、8%だったり、いろんなスタッフだったり、新しい出会いの中で生まれているものもあるので。みんな、知ろうとしてくれているし、理解しようとしてくれている。それがビジュアルやステージセットにも表現されている。自分としては、コアの部分は一緒だけど、見える景色はどんどん変わっている感じがします。 取材・文 / 柴那典