「BUMP OF CHICKEN HISTORY #1」直井由文インタビュー

2026.06.12

とにかくアニメがめちゃくちゃ好きでした

――まずは、チャマさんから見たメンバーとの出会いを聞かせてください。幼稚園時代の記憶はどんなものが残っていますか? 直井:はっきり覚えているのは、藤原くんと同じクラスだったことですね。彼が4月生まれで、僕が10月生まれというのもあって、藤原くんはクラスのお兄ちゃん的な存在、リーダー的な感じでした。最初の記憶で覚えているのは、年中の頃にブロック遊びしていた時のことで。ブロックを組み立ててロボットとかビルを作ったりしていたんですけれど、「片付けの時は必ずバラバラにしてから箱に戻す」と先生が言っていて。僕はそれをきちんと守って箱まで何往復もしていたら、フジくんが、自分の作った形のままボックスにポンって放り込んだんです。僕が「いけないんだ〜」と言ったら、「バカじゃない? こうやって箱に入れて中でバラバラにした方が一回で済むんです」と言われて。「なるほど、すげえなこいつ」って思ったのをはっきり覚えています。強烈に残ってる記憶ですね。 ――増川さん、升さんとも同じ幼稚園だったそうですが。 直井:なんとなく一緒だったのは覚えています。ヒロに関しては「派手な子がいるな」というイメージがありました。ヒデちゃんに関しては、接点がなさすぎて記憶がないですね。たしかヒデちゃんが「ひばり組」で、僕が「つばめ組」と「くり組」だったかな。運動会があって、ひばり組の子たちは運動神経いいなって思ったのを覚えています。 ――チャマさん自身はどんな子供でしたか? 直井:野山を駆けずり回るのが好きで、じっとしていられない子でしたね。当時の幼稚園の先生がすごく優しくて、幼稚園が大好きでした。めっちゃ元気な子でした。幼馴染の親友がいて、小学校に入ってもその子と2人でずっと毎日遊んでいました。常識がわからない子だったんで、朝5時に起きてすぐその子の家に走っていってピンポンを押して。「誰も出ないな」って思って、帰ってまた1時間後に行ってピンポン押したり(笑)。そんな感じの子でした。 ――クラスでの人気者的な立場だったりしました? 直井:ひょうきん担当、お笑い担当という感じでした。そういう面では好かれていたと思います。「チャマくんって面白いよね」という雰囲気の子でした。小学5年生の時に「集会委員会」というのがあって。行事を提案したりまとめたりする委員会で、そこで升くんと出会ったんです。升くんの最初のイメージは怖くてズケズケ物を言う、厳しい人という感じでした。集会委員会では「チェッチェッコリ」という踊りを全学年に教えるみたいなのがあって。一生懸命振り付けを覚えて、いざ本番になったらオリジナルダンスを踊り続けて、最後に一番背の高い男の子に担いでもらって回してもらう、みたいなことをやって。すごくウケたんです。「めっちゃ良かったな」と思っていたら、升くんに「やるじゃん」と言われたのを覚えています。 ――幼少期の好きだったもの、ハマったものは? 直井:幼稚園の時は三輪車でどこまでも行くのが好きでした。小学校低学年くらいまでには自転車に乗れるようになって、それでどこまでも行くのが好きで。千葉県佐倉市は自然がたくさんあって、森の中に入ると虫の声や葉っぱの擦れる音しか聞こえないくらい静かなんです。森の中で一人で遊ぶのも好きでしたし、幼馴染の親友と2人でずっと駆け回ってました。あとは、とにかくアニメがめちゃくちゃ好きでした。当時は早朝からたくさんのアニメがやってたんです。その時に見ていたのが『機動戦士ガンダム』とか『黄金バット』、海外のアニメだと『スパイダーマン』とか『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』。今でも大好きな『トランスフォーマー』もその頃にやってました。あと、今では『ファンタスティック・フォー』って言うんですけれど、僕らが見ていた時は『宇宙忍者ゴームズ』というタイトルで。ゲーム機は買ってもらえなかったけど、朝にゲーム情報番組を見るのも好きでした。『タミヤRCカーグランプリ』というラジコンの車を競わせる番組も好きだったな。戦隊モノも好きだったし、仮面ライダーもやってたし、当時からそういうカルチャーがめちゃくちゃ好きでした。子供の天国みたいな時代でした。 ――マンガよりもアニメだった? 直井:マンガももちろん好きだけど、友達の家に行って読む感じでしたね。お金がなかったから、幼稚園とか小学校低学年ではマンガは買ってもらえなかったんです。アニメはタダだったから観てました。 ――その頃にハマってたものは、今の自分にもそのまま続いてる感じですね。 直井:こうやって話してみると、子供の頃に受けたカルチャーショックは永遠に消えないものなんだなと思います。洋画も1日に何本もやってたんです。昼からやってる『ダーティハリー』をおじいちゃんが見ている横で一緒に観ていたり。あとドラマなら『ナイトライダー』とか『冒険野郎マクガイバー』とか。低学年の頃はそういうのも好きで、めちゃくちゃ観てました。ビデオもないので、テレビでとにかく観ていました。 ――音楽はどんな入り口がありましたか? それもやっぱりアニメに結びついていましたか。 直井:小学校の高学年になると自分の意思で観たいものを選ぶようになっていました。『魔神英雄伝ワタル』、『魔動王グランゾート』、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』、『鎧伝サムライトルーパー』とか、挙げたらきりがないですね。「勇者シリーズ」も、当時は『トランスフォーマー』からの流れにあるとは知らなかったけど、『伝説の勇者ダ・ガーン』のような作品も観ていましたし、『絶対無敵ライジンオー』や『NG騎士ラムネ&40』とか、レジェンドクラスのアニメを本当に全部観てました。『ハウス食品世界名作劇場』も観てたし、その中では『ピーターパンの冒険』が一番好きでした。『ムーミン』も好きだった。アニメばっかり観てましたね。で、アニメを観てめちゃくちゃ感動していたのはなぜだろうと思ったら、やっぱり音楽だったんです。中学生くらいの時になって、オープニングやエンディング、クライマックスでかかる劇中歌がめちゃくちゃ好きだったんだと気付いたんです。だから初めに受けた音楽の影響は間違いなくアニソンです。それは今も同じです。 ――当時のアニメ主題歌は今のような形ではなかったですよね。 直井:僕らの時代は、マーチャンダイズ・アニメという、玩具を売るためのアニメが主流だったんですよね。歌詞にタイトルとか主人公の名前が入っていたり、そのアニメのためだけに作られた音楽でしたよね。 ――好きなアニソンはたくさんあったと思うんですが、特に子供時代の自分が一番好きだったものを挙げるならば? 直井:全部好きですけど、強いて言うなら『魔神英雄伝ワタル2』の「Step by Step」がめちゃくちゃ好きでした。あと『絶対無敵ライジンオー』の主題歌も「大事なことなんて 自分で見つけるよ」みたいな分かりやすいパンチラインが入ってたんで、そういうところがすごく好きでした。『サイバーフォーミュラ』のオープニングも好きでしたね。

僕も増川くんも人を笑わせるのが好きでした

――藤原さんとは小学校は別々だったんですよね。 直井:そうですね。ただ、「ブルート」っていうゲームソフト屋さんがあって。そこで「おお、もっちゃん、何やってんの?」みたいに声をかけたことはあります。だから忘れたり、記憶が途切れたことはなかったですね。で、中学校に入ってもクラスも部活も違ったけど、会えば楽しく話すような感じでした。 ――藤原さんはしょっちゅう歌っている子供だったという話ですが。 直井:覚えてます。幼稚園の時もずっと歌ってました。今言われて思い出しました。何の歌だったかな。たしかタツノコプロのアニメの『とんでも戦士ムテキング』のオープニングの歌をめっちゃ歌ってた気がします。小学校の頃にも、僕の幼馴染と家に藤原くんが遊びに来たことがあって。そこで『タイムボカン』シリーズ真っ最中だったから、その歌の「♪タイムボカーン」っていうところで僕と幼馴染がひっくり返るの見て藤原くんが笑ってた記憶があるんですよ。 ――増川さんとも小学生時代から仲良かったですか? 直井:ヒロと会ったのは小学4年生の時で、めちゃくちゃ仲良くなって。僕も増川くんも人を笑わせるのが好きで。給食の時にどれだけ周りの人を笑わせて牛乳を吹かせるか勝負してたんですよ。僕と増川くんの班はたぶんみんな牛乳飲んでないですね。全部吹き出しちゃって。先生には怒られたし、廊下に立たされた記憶もあります。気のいい人たちが集まったクラスだったんです。僕らより面白いやつもいたし。あと、増川くんは合唱部で、めちゃくちゃ声が高かった。今SNSとかあったらバズるレベルの声の高さではあったと思います。「かっこいいなぁ」とは思ってました。で、僕は小学校5年生から応援団に入って、5年生で副団長、6年生で応援団長をやってました。その時が人生で一番モテたピークだったと思います。目立つのは好きでしたね。 ――クラスの悪ガキであり、ひょうきん者であり、人気者であるという感じですね。 直井:人気者では多分なかったんですけど、嫌われてないって感じですかね。友達にも「チャマって面白いよね」「チャマいると明るいよね」って言われて。幼馴染の親友が笑い上戸だったんですよ。何言っても腹抱えて笑ってくれる。だから「俺、面白いやつなんだ」って思っちゃって。そのおかげで自信もついたし、自己肯定感が上がったんだなって。めちゃくちゃ感謝してます。

『ドラクエ』と『ファイナルファンタジー』のフレーズをベースでひたすら弾いてました

――中学校に入ってからはどんな感じでしたか? 直井:中1の時はクラスにも部活にも気の合う人がいなくて。別に嫌な思いはしてないんですけど、「中学校ってつまんないな」って思った記憶があります。中1のときはサッカー部に入ってました。小学校6年間ずっとサッカーやってたんで、その流れで。だけど、小学校の時のサッカーのコミュニティが全然好きじゃなかったんですよ。親に言っても辞めさせてもらえないから、ただ続けてただけで。好きじゃないから上手くならないし、めっちゃサボったりもしてたし。そのコミュニティに誘われて、先輩の命令に逆らえないからサッカー部に入るしかなかったんです。でもやっぱ面白くないし、『SLAM DUNK』も読んでたし、フジくんもヒロもいるしというので、中1の終わりくらいでバスケ部に入りました。 ――そこから4人の関係がぐっと近くなった感じですね。 直井:間違いないです。中2から僕と升くんが同じクラスになって、僕と升くんともう一人のクラスの友達の3人で、学校内でめちゃくちゃ遊んでました。3人で「トイレッツ」ってグループを組んで、休み時間になったらトイレでずっと喋ってるという。 ――升さんは厨二病というか、その頃は尖ってた、ひねくれてたと言ってました。 直井:升くんはかなり尖ってましたね。新しいことを思いついてやるんです。「トイレの中で野球をやろう」とか。もう一人の友達が焚き付けてたのもあるかもしれないけれど。あと、「俺はお前を認めない」っていう感じがあって。バスケ部に入った時に升くんにディスられたんですよ。はっきり覚えてるんですけど、「お前はバスケットがしたいんじゃなくって、ここにいるダチに会うためだけにバスケ部に入ってきたんだろ。俺はそういうやつは決して認めない」って言われて。「じゃあ、升くんレギュラーなんだ」と思ったんですよ。ストイックにバスケやってるんだって。で、実際僕も遊び感覚で入ってきたわけだから何も言い返さなかったんですけど、次の日にバスケ部が始まったら升くんは全然レギュラーじゃなくて、ビックリしたという。3軍とか4軍くらいですよ。コートどころか体育館にも入れない。僕も升くんも増川くんも藤原くんも4軍以下って感じです。外をずっと走らされてました。 ――チャマさんの楽器との出会いはどういう経緯だったんでしょう? 直井:升くんとフジくんと先程登場したもう一人の友達に「俺らバンド組むから」って言われて、「めっちゃいいね!」って言った記憶はあります。でも、その時にはバンドに入りたいと思ってなかったですね。自分は「なんか楽器やりたいな」って勝手に思ってて。中学校2年生ぐらいの時にギターブームが来たんですよ。その時にみんなギターを買ってて。ただ、自分の逆張りの性質なのか、みんながギターやってる中で自分もギター始めたら面白くないよなって思って。あと、升くんに初めて借りたCDがX の『Vanishing Vision』だったんですけれど、そこからの影響で「ベースってめちゃくちゃかっこいいな」と思って。XとかLUNA SEAとかZI:KILLとかLADIESROOMとかが出てる「EXTASY SUMMIT」というイベントのビデオを友達に観せてもらった影響もあるんじゃないかな。それでフェルナンデスのベースを買ってもらいました。初心者セットみたいなのを買ってもらって、ずっと家で弾いてました。それが中2だったと思います。 ――バンドは始めなかったんですか? 直井:ベースを買ったって誰にも言わなかったんですよ。誰かと何かを共有したくて買ったというよりは、みんながギターを始めたのを見て「いいな」と思っただけで。ベースがどういう楽器なのかも、あまりわかってなかったんです。「弦が4本しかない、かっこいいな」っていうレベル。『ファイナルファンタジー』のサントラの「♪デデデデ」みたいなフレーズをひたすら弾いてました。『ドラクエ』と『ファイナルファンタジー』の気に入ったフレーズをめっちゃ練習してコピーしてましたね。

中学卒業の時点で「もう一生これでやっていく」としか考えてなかったです

――そこから藤原さんや升さんと合流したのは? 直井:友達から升くんに「道にドラムが落ちてるぞ」って連絡があって。それでヒデちゃんがドラムになったんですよ。藤原くんはギター弾けたし、歌も歌えるからボーカル。で、僕がベースを持ってるからベースという感じです。 ――チャマさんの家がバンドメンバーの集まる場所だったということですが、これはどういう経緯だったんでしょうか。 直井:僕の家は、僕が生まれた時はまず鉄工場だったんですよね。で、幼稚園の頃にそこが居酒屋になった。社交ダンスができたり、カラオケがついてたりして。周りに家もなかったし、音も出し放題だったんで、それでウチに集まって練習するようになったんですね。火曜日に実家の居酒屋が休みだったんで、火曜日にみんなで集まろうって。 ――で、中3の文化祭で初めてステージに立った、と。 直井:そうですね。ビートルズが大好きな生徒会長が、「文化祭で一緒にやろう」と誘ってくれて。「先生たちを説得するためには、ビートルズとか、そういう大人が好きな音楽をやったらいい」って言い出して。それで生徒会長の家に行って、ビートルズの映像を見たり曲を聴いた時に「音楽ってこれか!」って思った記憶があるんですよね。それで文化祭に出ました。副生徒会長も入ったからギターが4人ぐらいいたんじゃないかな。絶対盛り上がんないだろうなって思ってたんですけど、みんなすげえ盛り上がってくれて、それで調子に乗ったという。 ――チャマさんの中学時代の音楽の好みはどんな感じでしたか? 直井:升くんがXのCDを貸してくれたところが始まりで、ビジュアル系とかメタルとかを知って。LUNA SEAの『EDEN』とか聴いてました。あとは友達がいろいろCDを貸してくれて。JUDY AND MARYも電気グルーヴも聴いてたと思います。あとはやっぱり、その頃にやっていたアニメのアニソンを聴きまくってましたね。でもアニソンのベースは難しすぎたんで、弾こうとも思わなかった。生徒会長が教えてくれたビートルズをコピーしまくってました。あとジョン・レノンがカバーしてた「スタンド・バイ・ミー」をみんなでバンドバージョンでコピーしたり。聴きまくってたのはアニソンで、音楽的な影響を受けたのはビートルズだったかもしれない。聴きとりやすいし、わかりやすいし、難しいものはあるけど、シンプルで。アンサンブルって何なんだろうっていうことを教えてくれたのは間違いなくビートルズだったと思います。 ――で、次のライブがクリスマスにあった。これはどうでした? 直井:文化祭でも盛り上がっちゃって、「僕ら、ヤバいんじゃない?」みたいな感じで、近くの臼井青年館という施設を借りて、そこでクリスマスライブやろうってなって。確か「星に願いを」とかをアレンジしてやったんじゃなかったかな。友達たちを呼んでやったんだけど、誰一人ノッてくれなくて大スベりして。ヘコんでる時に「もう夜遅いから早く片付けて帰りなさい」って升くんのお母さんに言われて。で、隣にあった公園に集まったら、友達が「俺らもライブとか見たことないし、慣れてないからびっくりしちゃったんだと思う。お前らは良かったと思うよ」みたいに励ましてくれたのを覚えてます。 ――中学を卒業する頃のチャマさんの将来像はどんな感じでしたか? 直井:もう、その時点で「もう一生これでやっていく」としか考えてなかったです。ビジョンが明確にありました。そのためにどうすればいいかしか考えてなかった。成功したいとかじゃなく、先に進んでいくためにはどういうプロセスを踏めばいいのかという。みんながどう思っていたかはわからないけど、僕は本当にそう思ってて。親にも話しました。当然「ダメだよ」って言われました。「高校はちゃんと行ってほしい」って。でも「バンドで食べていくから、卒業したら東京に行くね」って言ったら、「じゃあ、高校に行かなくてもいいから、自分で勉強して高卒認定と調理師免許をとってくれ」と言われて。3年間それを頑張って、両方取れたら東京に行っていいって。そこから僕の地獄の3年間が始まった感じです。

いまだに一番の衝撃がピクシーズです

――チャマさんは高校に入らず調理師の専門学校に入ったんですよね。 直井:そうです。専門学校は3年間あるんですけど、当時は最初の1年はインターンって言って、ほとんど学校に行かないんですよ。職場に行って実地を踏むことで単位が取れる。実技試験をパスして、給料も貰える。その代わり、筆記と高卒認定の勉強は自分でやらなきゃいけない。だから調理師免許はそこでクリアできると思って。幕張メッセ前のマリブダイニングというビルのイタリアンレストランでずっと働いてました。 ――それをやりながら、その時のメンバーで毎週火曜日にチャマさんの家で集まるというのが続いていた。 直井:そうですね。クリスマスライブが終わった直後は受験勉強に専念しようという事になって、なんとなく「もうバンドはやらないのかな」って雰囲気だったんですよ。でも、受験が終わってからまた自然とウチに集まるようになったんです。そのタイミングで増川くんが入ってきた感じです。それで中学卒業後は藤原くんも升くんも増川くんも高校で、僕は仕事。でも毎週火曜日の練習は続いていました。 ――その頃のチャマさんが好きだった音楽は? 直井:升くんと増川くんが佐倉高校という進学校に入学して。それで本当に音楽の幅が広がったんですよね。升くんが音楽の伝道師だったんです。オアシス、レディオヘッド、ニルヴァーナあたりはもちろん聴いてました。ボン・ジョヴィとかハードロック系も聴いていて。藤原くんの影響かな、マイケル・ジャクソンとかカーペンターズも聴いていて。で、升くんの友達に音楽に詳しい子がいて、その子がピクシーズを教えてくれたんです。『世界を騙せ』(『Trompe Le Monde』)を貸してくれたんで、それを聴いたら頭が爆発しちゃって。自分の身体の大きさがわからなくなっちゃうくらい、めちゃくちゃ衝撃を受けました。いまだに一番の衝撃がピクシーズです。これって何なの? 始まりはどこで終わりは何なの? 今まで聴いてたものと全然違うじゃん!って。そこから一生懸命古本屋さんに行ってピクシーズの記事を探して、インタビューを読むんだけど、言ってることもわかんない。「この歌は難民の歌なの? めっちゃ政治的なの? 頭いいの?」みたいな。ずっとショックを受け続けてました。そこからソニック・ユース、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとかシューゲイザーに夢中になって。ザ・キュアーとかトーキング・ヘッズもそこから聴くようになりました。ディスクユニオン行って、店員のお兄さんに「ピクシーズとかザ・キュアーが好きなんですけど、おすすめありますか?」って聞いて、そういうのを聴きまくって、そっち系にかなり方向転換したのを覚えてます。今もピクシーズはめちゃくちゃ好きですね。 ――ピクシーズとの出会いが大きかったんですね。 直井:そうなんです。当然ニルヴァーナもオアシスもレディオヘッドも好きだったんですけれど、やっぱりピクシーズが音楽としての衝撃は一番でかかったし、いまだに一番好きかもしれないですね。そこからダイナソーJr.も知りました。ベースはダイナソーJr.の影響がめちゃくちゃ大きいです。僕のベースラインってめちゃくちゃ動くじゃないですか。あれはダイナソーJr.のルー・バーロウの影響なんです。あとは当然グリーン・デイも大好きです。これはみんな大好きです。

グリーン・デイのライブは人生が変わった出来事でした

――グリーン・デイの影響はどんなものがありましたか? 直井:その時期に大きなことがあって。僕と升くんと増川くんでグリーン・デイの来日公演のライブに行ったんです。1996年の晴海だったから、まだ2人が高校生だった頃のことで。それが初めて観たライブでした。会場に行ってまずびっくりしたのが、SEにビースティ・ボーイズが流れてて、その時点でモッシュとダイブが始まってたんですよ。それで衝撃をくらっちゃって。ヤバいですよね。それでも升くんと増川くんと「前に行こうぜ」って、手をつないで前に行ったんですよ。そしたら前座でHi-STANDARDが出てきた。当時はもちろんそれがハイスタだなんて知らなかったです。グリーン・デイの前座があることも知らなかった。そしたらいきなり日本人3人組が出てきてメロコアやったんですよ。「どういうことだ!?」って。で、その後にグリーン・デイが出てきて。僕、ビリー・ジョーにワインぶっかけられたんですよ。そのワインが染み込んだ白いTシャツ、しばらくずっと着てましたもん。ヤバくないですか? それが人生初ライブですよ。取り返しがつかないですよね。 ――それは人生変わりますね。 直井:しかも、ライブが終わって外に出たら、出口のところで「Growing Up」のプロモーション盤を配ってたんです。それを貰って、家に帰って聴いて。あのCDは1000回ぐらい聴きました。コピーもしました。本当にそれは人生が変わった出来事でしたね。日本から海外に行って音楽をやることができるんだ、って。NOFXにフックアップしてもらえる、Fat Wreck Chordsに入れるんだ、って。あのアルバムにトイズファクトリーのロゴがあったんで、その時僕は「トイズファクトリーに入りたい」って初めて思ったんです。 ――ハイスタの影響も大きかったんですね。 直井:だから僕らのマインド的にはメロコアでしたね。「ガラスのブルース」はメロディック・ハードコア・パンクだ、っていう気持ちはかなりデカかったです。もちろん今でもハイスタは大好きだし。グリーン・デイも大好きだし。めちゃくちゃ世界が広がった瞬間でした。

最初の1音目を鳴らした時に「俺ら最強だよな、やっぱり」って思った

――1996年2月11日に「TEENS' MUSIC FESTIVAL」の千葉大会に出場したのがBUMP OF CHICKENとしての初めてのステージだったわけですが、その時の記憶はどんな感じですか? 直井:この4人のメンバーで初めて人前で弾いたのがその日だったんですけど、最初の1音目を鳴らした時に「俺ら最強だよな、やっぱり」って思った記憶があるんですよね。練習でも別に何もできてないし、ほとんど遊んでるだけ、無意味なことばっかりしてたはずなのに「俺ら最強だよね」っていう共通認識があった。その時もカマしてやったみたいな気持ちはあります。その時にはもう「DANNY」をやってますから。コピーをやってた時も十分楽しかったですけど、オリジナルやり始めてからは、思ってたことがどんどん現実化していく感じがしました。 ――「TEENS' MUSIC FESTIVAL」の時はどうでしたか? 直井:僕も尖りまくってたんで、他のバンドの音楽なんて聴いたって意味ないって思ってました。「俺らが一番いいんだから、俺らだけが聴いてもらえればいい」っていう気概があって。それでもBURGER NUDSの前身のバンドが出ていて、その曲を聴いてびっくりしたのは覚えてる。他にもロカビリーっぽいバンドが出てて、それもかっこよくて「音楽ってこんなのもあるんだ」って。やっぱ東京はレベルが違うって思いましたね。でも「俺らが最強」って自信はありました。 ――その後8月の「Beat Brust in Japan」に出場した時に「ガラスのブルース」を披露しているわけですが、藤原さんが「ガラスのブルース」を持ってきて聴かせてくれた時のことは、どんな風に覚えてますか。 直井:ウチの居酒屋で初めて聴いたんですよ。たまり場みたいになってたから、友達も何人かいて。めっちゃ驚いて、みんな「めっちゃいいよね」って言ったのを覚えてます。フジくんが初めて日本語で書いてきた曲で。しかも今までルーツがバラバラだったのが、ちゃんとポップスとして人に聴いてもらえるような曲で。しかもちゃんとキメがあったりとか、音楽的にもしっかりし始めた最初の曲って感じでした。

あの日の電車の中の光景は今も頭に焼き付いてます

――「Beat Brust in Japan」では優勝したわけですが、その後何か変化はありましたか。 直井:何にもならなかったです。確かマクドナルドの券とかもらったんじゃないかな。もっとすごいことになると思ってました。レーベルから声がかかるし、デビューするんじゃないかって。でも何もなかったんですよ。 ――ただ、その頃から千葉LOOKや千葉ANGAなど地元のライブハウスに出るようになったんですよね。 直井:当時はライブのやり方がわからないから、人前で演奏したいってだけで大会に出てたんです。優勝したいとか勝ちたいっていう思いはあんまりなかった。大会に出ればタダで人前で演奏ができるから、そのためだけに出てたという。で、藤原くんが大会を通して知り合った人たちにライブハウスのブッキングの仕方を教えてもらって。そこからライブハウスに出るようになった。当時お世話になった女性のスタッフと会ったのもその頃です。その人がいなかったら、今のBUMP OF CHICKENはないですね。彼女が初めて音楽業界の人との出会いだった。そのスタッフに声をかけられた時、何の根拠もないんですけど、「始まるな」って思いましたね。自分が思い描いた何かが始まる、っていう感覚がめちゃくちゃありました。彼女のおかげで初めて下北沢に行ったんです。「CLUB 251でオールナイトのイベントをやるから出てくれない?」って言われて、初めて下北でライブをやった。みんな千葉に住んでたから、夜に移動して初めてオールナイトのライブに出て、朝に電車に乗って帰ってきて。めちゃくちゃ眠くて。あの日の電車の中の眩しすぎる朝日、みんなで疲れきって、誰も乗ってない電車で寝てる光景は今も頭に焼き付いてるくらいエモかったですね。青春の光でした。 ――そのあたりからライブハウスの動員も増えていくわけですが、その頃はどういう記憶がありますか? 直井:千葉LOOKでやった時は、他のバンドを観ていたお客さんの一人が「お前ら超かっけーよ。俺、友達どんどん連れてくるからさ」って、その後のライブにめちゃくちゃ友達を連れてきてくれるようになって。たしかその軍団が20人ぐらいいて。全員の名前を言えるぐらい仲良くなっていきました。あの辺からライブハウスの人とかもプッシュしてくれるようになって、人気になったんじゃないかな。

ずっとエヴァの話をしてました

――『FLAME VEIN』を作っている時期のことで、記憶に強く残っていることはありますか。 直井:めちゃくちゃ短期間で録ったんです。ちゃんとしたスタジオのレコーディングが初めてで、ほぼ一発録りみたいな感じで録っていった。アルバムのアートワークにある写真の中にはそこでみんなで撮ったものがある気がします。そのレコーディングの時に、「どれだけ面白いことができるか」みたいなこともやっていました。ケツを出したり、屁をこいたり、レベルゼロのことをみんなでやり合いながら、かなりエモーショナルにやっていた。自分たちが演奏していたものが形になっていくのが嬉しかったですね。 ――「アルエ」についての話も聞かせてください。この曲が生まれた背景には『新世紀エヴァンゲリオン』の影響があったと思うんですが、当時『エヴァンゲリオン』をどんな風に観ていましたか? 直井:この話はしないといけないですよね。『エヴァンゲリオン』は1話から観てました。「これは大変なことになった」と思ってましたね。僕はもう働いていたんで、放送される日だけ、間に合うように早上がりにしてもらって、海浜幕張から臼井まですごいスピードで帰って、誰とも会わずにテレビの前で待機してました。メンバーにも「大変なことになってるよ」って言って、当然4人でめっちゃ盛り上がって、ずっとエヴァの話をしてました。で、ある日、藤原くんが「アルエ」を書いてきた。「なんでアルエなの?」って言ったら「綾波レイだよ」って。「めっちゃいいじゃん!」って言った記憶があります。 ――『エヴァンゲリオン』の衝撃は大きかった。 直井:「こんなことが起きていいの?」っていうことの連続じゃないですか。『エヴァンゲリオン』のおかげで、アニメはもちろん変わったし、ゲームや音楽にも相当な影響を与えたし、一つのOSがそこで変わったような感じでしたね。いまだに僕は元ガイナックスチームの作品は追い続けてますし、その人たちの影響はめちゃくちゃデカいと思います。あと『ベルセルク』も『ファイナルファンタジーVII』も大きかったですね。

「自分たちが最強なんだ」っていうのを貫き通した3年間だった

――最後に聞かせてください。1996年2月のバンド結成から1999年3月の『FLAME VEIN』の3年間は、とても濃い時間だったんじゃないかと思います。今のご自身から振り返って、どういう3年だったと思いますか? 直井:「自分たちが最強なんだ」っていうのを貫き通した3年間だったと思います。その3年間のうちは、たぶん自分を1回も疑ってないんじゃないかな。高校にも行かず、ベースを持って「俺はこれで食ってくんだ」って親に言ってるので。親の立場からしたら、絶対に止めるじゃないですか。すぐに東京行くなんてあり得ないし。実際、親には必死で止められてました。でも自分は「絶対になるんだ」って言ってるんですよ。で、自分を貫き通した。調理師免許もとったし、大学検定もとった。地獄の3年間でした。朝5時に起きて職場に行って、最低賃金で夜まで働いて。だいたい夜9時ぐらいに家に着いて、自分でご飯を作って食べて。で、大検の問題集をやる。寝る時間は2〜3時間でした。それを3年間繰り返したんです。勉強は全くできなかったんですけど、その3年間は「全部やる」って決めたので。その3年間のうちにバンドができて、『FLAME VEIN』まで作ることができた。本当に自分を信じて貫き通した3年間だったんだなって思うし、今思えば「お前、すごいな」って思います。自分が本当にそれをやってるから。 ――間違いなく人生が変わった3年間だったし、そこに至る確信の強さと必死さがあった。 直井:リアルに、たとえば大検とれなかったり、調理師免許とれなかったり、音楽が何にも転がんなかったら、どれも意味なくなっちゃうんですよ。別に調理師にはなりたくなかったし、大学に行くつもりもなかったから。でも、どれかが上手くいかなかったらバンドもできない。それに、バンドが上手くいかなかったら何にもならない。相当な覚悟でやってたんだなって、今振り返って気付きました。毎日睡眠時間も少ない中で、下北沢に行ってライブしたりしてたし。「精神と時の部屋」に入ってた感じですね。 取材・文 / 柴那典